私は記録をきちんと整理していないので、心の中にいろいろな思い出があるものの、みな
さんに共有しようとすると、写真も文書もあまり無くて、後になって悔やむことが多いで
す。
私が最初に白浜シンポジウムに関わるようになったのは、システム監査だった団体ISACA
の大阪支部に参加することになったからです。そのあたりから少しお話しをしたいと思い
ます。
学生時代は農学部で木材の研究をしていたのですが、指導教官と意見があわず大学院を辞
めた私は、自分に興味がない分野で割り切って仕事をしようと、税理士だった父親の仕事
でもしようと会計の門を叩きました。専門学校の先生のすすめもあり、税理士ではなく会
計士の勉強を始め、無事合格し、1992年に監査法人に入所しました。
会計士の仕事を始めてみると、専門学校時代の勉強とは大違いで、すべての会計帳簿はコ
ンピュータシステムで作成され、コンピュータの理解なしに監査ができないことに気づき
ます。
例えば、監査先の会社の発注は、監査先の会社が代理店に支給した端末への代理店の人の
入力により行われるわけです。そして、その発注に基づいて、製品在庫がなければ生産計
画が作成され、部品在庫がなければ、部品の発注につながるようなシステムが当時すでに
できていました。こういう環境で会計データが正しいかどうかを確認しようとすると、コ
ンピュータシステムの理解が必要です。とりわけ、コンピュータ環境の内部統制の理解が
必要でした。
ちょうど当時、日本の監査法人もグローバル化が進みだし、より進んだ監査手法を取り入
れていた米国の監査手法がマニュアルとなって日本の監査法人にもPCと監査ソフトととも
に入ってきました。
そして、米国発祥のシステム監査の資格があることに気づき勉強を始めました(勉強はク
ライアントの往復の電車の中でしました)。1995年にシステム監査人 (CISA) の資格をと
り、その資格の発行団体のISACAの会員になり、大阪支部に参加することになりました。
当時、ISACA大阪支部のメンバーは30名くらいだったのではないかなぁと思います。
そして、私はより進んだ監査を理解し、実務にいかしていくために、米国の監査法人に出
向することになりました。そして、米国の会計監査におけるシステム監査の実務等を理解
して2000年に日本に戻ってきました。
そして、ISACA大阪支部の活動に参画し、30代でISACA大阪支部の会長となり、大阪支部
を盛り上げていくことにしました。
一方、警察関係では、コンピュータが社会に普及していく現状を踏まえて、コンピュータ
犯罪に関するシンポジウムを和歌山県警の本部長であった西川さんが企画し、開催されて
いました。
ISACA大阪支部もコンピュータ繋がりで、白浜シンポジウムに協賛していました。そうい
うこともあり、私も白浜シンポジウムに参加することになりました。
当時の白浜シンポジウムでは、主催の警察の方が、グローバルな知見を求めていました
。ISACAは米国発祥のグローバルな団体でしたので、米国のコンピュータ犯罪関連の専門
家等を招聘するのを手伝ったりしていました。特に、その分野では私の前に会長をしてい
た盛田さんの力が大きかったと思います。そして、私が会長の時には米国のCleveland
Medical CenterのCIOの方や、FBIの方、デジタルフォレンジックツール製造事業者
(Encase等)を招聘することができました。今から振り返ると、西川さんを始めとする当
時の方の先見性に頭が下がるばかりです。
そして、30年近く続いている、白浜シンポジウムをこれからもより発展させていければと祈念しています。そして、私も微力ながらもこれからも支援できればと思います。
この写真は、白浜シンポジウムが一時、開催停止になりそうになった時に、白浜シンポジウムの意義を和歌山県、和歌山県警に問い直し、白浜シンポジウムの継続に大きく故井原さん(左から二番目)と白浜シンポジウムの夜の車座での一枚です。
最近、白浜シンポジウムに参加を始めた方は、盛況な白浜シンポジウムしか知らないかもしれませんが、ここに至るまでには、山あり、谷ありで大変な時代もありました。そんな中、いろいろな方が力を合わせて、ここまで繋いでくれています。続けることが絶対ではありませんが、ここまで繋いできた人たちにも思いを馳せてみるのもよいかもですね。
2023年10月28日土曜日