白浜シンポジウムの企画には、当時、臼井と一緒にインターネット上の国づくり実験プロジェクトを推進していた「関西電子共和国」の運営スタッフが相談に乗ってくれたが、シンポジウムの夜の部の運営にもテレビプロデューサーであった吉里氏のアドバイスをいただき、第1回のナイトセッションは、彼の乾杯の音頭で始まった。
同じ共和国の実験プロジェクトで女王様の役割を演じてくれたたベンチャー企業の社長であるN子 女史もシンポジウムの現場視察と称して来てくれた。
ホテルシーモアでのナイトセッションも無事終わり、翌朝ホテルをチェックアウトしようと帰り支度を進めていた時、「臼井さん、ちょっと来てください。」とホテルシーモアの従業員の人から呼び出された。
<ホテルシーモアから、
何だろうと従業員の人についてある部屋に入ると、N子女王様がぷりぷり怒っておられる。「どうしたの?」と聞くと、「私が、朝に食べようと思って冷蔵庫に置いておいたお弁当をホテルの人が捨ててしまったんですよ。」と怒り心頭だった。
近くに居た従業員の女性は、「もし、ホテルで食中毒が発生したら大変なので、ホテルが提供した食べ物は、一定の時間が経過したら捨てる決まりになっているんです。」としょんぼりしていた。
臼井が「まあ、従業員の方も悪気でやったことじゃないし、ホテルで客のことを心配して作られた決まりを実行しただけだからね。これからもこのホテルをずっと利用させてもらおうと思っているのだから、許してあげて。。。」となだめて何とか我慢してもらった。
後でシーモアの支配人である坂井さんが「この場を収束してもらって、どうもありがとうございました。今後とも注意してサービスしますので、来年もよろしく。」と礼を言われたので、翌年の第2回白浜シンポジウムの夜の部の会場としてお世話になることになった。
しかし、ホテル利用の難しさを第1回のシンポジウムから味わったものだった。
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